へ~!そうなんだ? Tシャツ(ニット、カットソー)の歴史 

  • ニット製品

                      引用元 大富豪や成功者の哲学、名言

前回はニット(横)とカットソーの見分け方を紹介しましたが、二回目の今回は
カットソーの代表格、Tシャツという身近な存在の歴史を紐解いてみようと思います。

メリヤス肌着とラクダシャツ

Tシャツとは日本では綿のメリヤス(ニット)の肌着であり明治時代から生産されていましたがアウター(外出着)として着る発想はありませんでした。
永らく綿を中心素材として肌着として着て来られましたが一部ウールもこの頃からあったんです!
これは色もキャメルだった為に通称ラクダシャツ!と呼ばれており、私たちの親世代にはなじみの製品でした。
最近見ないなと思っていましたが、ネットで見るとちゃんと生き残ってますので今でも愛好者はまだまだいるようですね!

                          引用元 男着物の加藤商店

アウターとしてのTシャツ

元々下着であったTシャツがアウターアイテムとして認識されだしたきっかけは
1945年ごろの進駐軍の着こなしであったと言われています。
がっしりとした体形に良く似合い、その恰好良さに日本人が気付いた様です。
そしてそのTシャツには胸ポケットが付いており従来のメリヤス肌着には無い物でした。
アウターとしてのTシャツには胸ポケットが必要であり、厚手の生地である事が重要とされていますがこれは今も変わっていないようですね!(ポケットについては石津謙介氏(VAN)も必ず必要と指摘されています)                           引用元 むかしの装い

本場アメリカでのTシャツ

アメリカでは第一次大戦後の1920年ごろには既に皆さんもご存じのヘインズから水兵用に販売されていました。(この時代からヘインズが有るとは知りませんでした!)

                         引用元㈱ヘインズブランドジャパン
その後1950年代のマーロンブランド、ジェームスディーン(見出し写真)の映画での反逆的なスタイルのTシャツの格好良さ、開放感がアウター(ファッションアイテム)として広がるきっかけとなったようです。
またTシャツへのプリントの始まりは1930年代に体育の授業に貸し出していたTシャツが余りに返却されない事から生徒がきちんと返却する様に番号をプリントした事が初めと言われています。

国産Tシャツ

国産メンズでは1951年に石津商店(のちのVAN)からアウターとしてのTシャツを初めて販売されたと言われています。
また1970年代のTシャツとGパン(デニムもこの頃はこう呼ばれてました!)の爆発的なブームがあり広くファッションアイテム(アウター)として認識されたようです。
その後プリント技術の発展に伴いミュージックシーン、アート、ポップカルチャー、政治的スローガンまで様々なプリントが登場しファッションアイテムとして広がり現代に至っています。

プリントTシャツのパターン

スローガン
①国民の58%は戦車は必要ないと考えている!(ヴィヴィアンウエストウッド)(1983)ミュージック
②Winterland production(1968)ミュージックTシャツの原点と言われているTシャツ(ビルグラハム)
③ヒップホップを代表するRUN DMCロゴ(Cey adams)(1985)                    引用元 ミュージックTシャツの歴史

ポップアート
④ジャンミッシェルバスキア(キースヘイリング、ウォーホルと共に1980年代ポップアートの代表格。私もこの時代この3名のTシャツを集めたものですが最近はユニ〇ロで売っておりガックリ!最近はZO・・社長が原画を123億で購入と話題になりましたね!)                     引用元 ファッションプレス

まとめ

現代ではファッションアイテムとして身近な存在のTシャツですが調べてみると色々と初めて聞く事ばかりで色々と勉強になりました!
Tシャツ1枚で出歩くには体形が重要です。なかなかオヤジにはハードルが高くなってきましたが頑張って(無理して)着続けたいですね!

ではまた!